石切劔箭神社(石切さん)の謎  

石切といえば、「石切さん」と呼ばれて親しまれている

石切劔箭神社(石切さん)

石切劔箭神社

御祭神
饒速日尊(にぎはやひのみこと)
可美真手命(うましまでのみこと):饒速日尊の御子


両神併せて「石切大明神」と総称される

石切神社の祭祀は代々、木積氏が司ってきた。
「木積」は、古代天皇の側近として仕えた物部氏の最有力氏族「穂積」から転じたもの。
物部氏は、御祭神である饒速日尊(にぎはやひのみこと)の子孫。

つまり、石切神社は物部氏の血を組む神社なのである。

本社の御鎮座に関しては今から約700年前の足利時代末期の兵火にかかって消失したため定かではないらしい。
だが、神武天皇2年の時に宮山に「上之社」が建てられ、祟神天皇の御代に「下之社(本社)」に「可美真手命(うましまでのみこと)」が祀られたとある。
ということは、3世から4世紀には今の石切神社があり、上之宮は紀元前660年頃から建っていた。

どれくら記録が確かかわからないが、ざっと2000年の歴史があると見てもよいだろう。

石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)は、
神武天皇2年に天皇より神霊の剣 を授けられたと伝わり、これが名前の由来にもなっているという。
また、どんな強固な岩でも切れ、刺し貫くことの出来る、剣と箭(矢)をご神体として祀っていることによると言われる。

俗に石切さんと親しまれ、「デンボ(腫れ物)の神さん」として有名。
しかし、「デンボの神さん」と言われるようになったのは、どうも昭和に入ってかららしい。
強固な岩をも切るというところから、デキモノを切ってくれるという信仰が広まったのではないかと言われている。


「石切(イシキリ)」という地名だが、大阪城の石を切り出したという説があったが、どうもそうではないらしい。

「石切」の名そのものは、エミシ語で「イシキルイ」(彼の大いなる脚)長い臑を持つ男ナガスネ彦(進藤治氏)に由来している。
引用:東大阪、地名の由来

というように、エミシ語いわゆるアイヌ語からの由来という説もある。

だが、私はどうも

イエス・キリスト
wikiより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

石切=イシキリ  イエス・キリスト  → 短縮して イシキリ になったのではなかろうか? と思うのだ。
イエス・キリストは磔で死なず、実は日本に逃げ延びた。
青森の戸来村に渡ったとされるが、石切で最後を迎えたという説もある。

もしくは、イエス・キリストの弟、イスキリの石切という説もあるが……。

石切神社と関係があるも物部氏は実は、失われた10支族のなかの1支族だという説もあり。

石切とイエス・キリストの壮大なスケールの物語になりそうです。
謎を解き明かすには、まだまだいろいろ調べないといけませんね。





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